○ マッチ鍼灸整骨院は

 日本車椅子ソフトボール協会の

 活動を応援しています。

○当院は車椅子ソフトボール

 協会の協賛スポンサーです。

ロゴをクリックしていただきますと協会

ホームページをご覧になれます。

 

 

  • Black Instagram Icon

Instagram更新中 ➡

私の開業までの道のり

​ 【部活に打ち込んだ高校生活】 

私がこの業界を志したのは高校3年生の春です。私立の強豪校で野球部に所属していた私はベンチ入りするも控え選手でした。下級生のころから先輩にストレッチを頼まれたりトレーニングの指導を頼まれる事もありトレーナー補佐のような役割をしていました。チームトレーナーの影響もあり、スポーツに携わる仕事がしたいと思い始めました。

自分が医療の道に進みたいという気持ちが固まったのは3年生の春季大会前に起きた膝のケガがきっかけです。膝に血が溜まり歩く事も出来ない状態、靭帯が切れていたら最後の夏の大会にも間に合わないかもしれない・・・そんな状況でした。

絶望的な状態を救ってくれたのが整形外科医とリハビリを担当して下さった先生でした。夏の大会にも何とか間に合い、甲子園で9回裏2アウトに代打出場し智弁和歌山の投手から7球ファールで粘りセンター前にヒットを打つ事ができました。

あの時の観客の声援、一塁ベースに立ってガッツポーズをしたあの瞬間は今でも忘れない一生の宝物となりました。

自分もそんな人の為になる仕事がしたいと思う様になり、母の知り合いの先生から鍼灸の先生がスポーツの現場で活躍している事を知り鍼灸学校に入学する事を決めました。

【鍼灸学校での苦悩の日々】

鍼灸学校の夜間部に入学するも当時は私の様な高校卒業後すぐに入学するような生徒はおらず、脱サラ、タクシードライバー、すでに別の医療免許を取得している社会人ばかり、完全に場違い、専門用語の嵐に授業について行けず1年生の頃は成績不振で留年を覚悟する程でした。昼間働こうと就職先はタウンページで探し、整骨院でアシスタントとして仕事をしながら学校に通いました。人生の先輩達に支えられながら勉強を重ね3年生のころには学年トップ10に入る成績で卒業、鍼灸師の国家資格を取得しました。

鍼灸学校の2年生の時に、3年生の彼女と(現在の妻)とお付き合いする事になる。

【いざ東京へ】

鍼灸師の国家資格を取得後、1年間札幌の整形外科に勤務しお金を貯めて東京の柔道整復の学校に入学しました。

彼女との遠距離恋愛のスタート

 

夜間部の為、鍼灸の免許を活かしながら日中働きながら学校に通いました。入学時の自己紹介で就職希望者を募集していた同級生に見学をお願いしたところ、院長とお会いして何故かその場で面接に・・・

それが自分にとって多くの経験をするきっかけとなりました。

オープニングスタッフとして整骨院の立ち上げに参加、

 

消化器外科の病棟でリハビリ室長任され、元気になって退院していく方や病態が悪化して病院で最期を迎える方、前日まで元気だった患者さんが次の日突然病室にいない事もありました。命の大切さを知り、病院でしかできない経験もさせてもらいました。

柔道整復師の国家資格取得後は整形外科で病棟受診のカルテ持ち、骨折や脱臼の整復、固定、スポーツや日常生活でのケガの治療、リハビリを経験させて頂きました。

しかし、その時から感じ始めた対症療法や局所治療への疑問

​【何故全身治療にこだわるのか??】

派遣先の消化器外科に勤務していた頃、40代のガン患者さんのリハビリを担当した時の事でした。

医師からのオーダーは全身のムクミを軽くする事と筋力を落とさない様に筋力トレーニングをする事でした。

痛い所を押したり、関節を大きく回せばそれなりにムクミは取れました。

弱ってきた筋肉に負荷をかければ筋力の維持は出来ました。

でもガンは進行していきました。

ある日娘さんが「お父さんに私が何か出来る事はありませんか?」と言われた時、私の答は「優しく背中をさすってあげて沢山お話をしてあげてください」でした。

もちろん「手当て」と「コミュニケーション」は今も大事にしていますが、もう少し体の深い所まで診る事が出来たらその患者さんがご家族ともう少し長く過ごせたのではないかと思うと自分の無力さを感じました。

そんな思いをしていた時に出会ったのが全身の評価を行い血液、リンパ、神経、骨格の調整を行うクラシカルオステオパシーでした。

【故郷に錦を!!】

柔道整復師の資格を取得し、トレーナー学科を卒業し治療現場での経験も積み次のステップを考え始めたその時、

7年間付き合った彼女と結婚、妊娠、そして長男の誕生

そんな時札幌で分院長をやってみないか?と誘いを受けました。東京で一旗上げようと意気込んで上京した自分も父親になり家族を守る立場になった時、育児環境や家族の事を考えそして次のステップ、開業に向けて故郷札幌に帰る事を決断しました。

【無職に・・・】

分院長を任せてもらう事を目標に頑張ってみたものの会社の代表と考えが合わず退社、嫁と産まれたばかりの息子をかかえ無職になる

さて、どうする?

整骨院のスタッフとして勤務するか、デイサービスで働くか、それとも運送屋で働くか・・・それとも独立開業か?でも資金はない、東京での経験を活かして開業!!何でもできると思っていた自分は次の事なんて考えておらず私は次の決断をする事が出来ずにいました。

【白衣を脱いで新な挑戦】

そんな時救いの手を差し伸べてくれたのが、東京で1、2度しかあった事の無い同じ学校の先でした。

偶然フェイズブックのイベントページで目に付いた勉強会の案内、正直勉強会なんてどうでもよく、とにかく情報が欲しく参加してみる事にしました。それが運命の出会いとなり新たな挑戦が始まる事になりました。今まで白衣を着て仕事をしていた自分はトレーニングウエアに身を包みトレーニング指導兼治療スタッフとして仕事を行う事になりました。

その時、正しい姿勢の重要性や体の動き方についてトレーニング、症状改善後のリハビリ、セルフケアを深く学び、知る事になりました。

【開業】

パーソナルトレーナーとしての仕事は午後からの為、午前中は別の仕事ができました。オーナーの理解もあり元々開業志向だった自分は自宅を往診拠点として高齢者の訪問鍼灸&リハビリ「訪問治療まちむら」を立ち上げました。その後ケアマネージャーさんや利用者さんのご家族からの紹介で徐々に利用者さんも増え始めついに円山にテナントを借り約3坪の治療院マッチコンディショニング治療院を開院させました。

【突然の移転要請】

円山で店舗を構え少しづつ利用してくださる方が増えてきたころ、管理組合からクレームが入る、ある日突然大家さんが治療院に訪れ突然の立ち退き要請、どうやら事務所使用は許可されていたものの店舗使用は許可されていないテナントだったようで、治療院が軌道に乗りかけた矢先に移転を余儀なくされる。さてどうしましょう・・・

【マッチ鍼灸整骨院開院】

移転を余儀なくされた自分に与えられた期限は2ヶ月、それまでに次のテナントを探さなくてはなりませんでした。治療院の空き時間に10件以上の不動屋さんに相談しテナントを探してやっと見つけたのが今の大通15丁目でした。現在のテナントはその失敗から事前に確認をし、店舗使用も認められたテナントです。現在は院内の設備も整い安心して治療を受けて頂ける環境が整いました。

夢や希望に夢膨らませ東京にも行きました。多くの経験もしました。自信をつけて札幌に戻るも長く伸びた鼻を折られ自信喪失した時もありました。でもできない事を認め真剣に取り組む事で少しづつ出来るようになりました。沢山の方に支えられながら成長してこれた事に感謝しながら今後もまだまだ成長し続けます。

クラシカルオステオパシーの創設者

ATスティルの言葉「本を閉じてはいけない」という言葉を胸に皆さんのお力に少しでもなる様に学び続けます。

最後までお読み頂きありがとうございました。

​マッチ鍼灸整骨院  町村 祐輔

当院の治療法

主な疾患

​東京の眼精疲労専門治療院にオススメ治療院として紹介されています。